†魔剤戦記† 第3話 ソロモン・リング
空気がまるで琴の弦のように張り詰め、2人にとって1分に感じられるほどの時間が流れた。
その間、僅か2秒。
刹那、弦のように張った空気が鳴った。けたたましい音が鳴り響く。
「警察だ!ここらで魔素が爆発したとの報告があった!大人しくしろ、バケモノ!」
乱入する第三者の声。
2人がいる場所が、まるで決闘のスポットライトが当てられたかのように照らし出され、警官の群れが路地裏に突入する。
「殺します?この仔牛たち。」
「ああ。権力の羊たちのブルゴーニュ風ラム肉ディナータイムと行こうか。」
「羊を殺したって、たいして盛り上がらないですけどね!」
先ほどまではあそこまで殺意を容赦なく剥き出しにしていた2人が、興を削がれた不快さでもって団結し、僅か一言二言の会話で行動をともにする。
矮小なる人の理で以って、魔界より賜りし神秘を制御し、枠に抑え込もうとする警察は、2人にとって唾棄すべきものに違いなかった。
無言の停戦協定が結ばれ、より憎き敵に向かって殺意が弾丸となって飛び出した。
真紅と翡翠の閃光が縦横無尽に、それでいて決して交わることなく豪速の軌道を残したかと思うと、残像が消える間も無く警官たちの首が落ちる。次いで、鮮血のスプリンクラー...
20年、30年、40年、50年、それぞれの時を生きてきたものたちの命の灯火が、人理で観察可能な猶予すら残さずに等しく消されてゆく。
彼らの残した悲鳴すらまた、人理で捉えることのできる範囲の音すら残すことを許されず、閃光に焼かれて灰となりて汚濁の地べたへと墜つる。
紅き閃光が一撃で20の、翡翠の閃光が瞬間にして5の生命の灯火を、まるでバースデーケーキの蝋燭を吹き消すように造作もなくかき消した。
あたりに漂うは煙ではなく、代わりに蒙昧なる人汁...
血生臭い...
「愚鈍ですねやっぱり。重量級の戦い方ですか?」
「チマチマしてるテメェはやっぱり気にくわねぇ。決闘に水を刺されちまったもので、やりすぎちまっただけだ。次はテメェだ。」
憎まれ口を叩く2人の器。
あたりには一面の血液の芳香、芳しきその獣臭を発する、さっきまで紛れもなく生き物であった生首たちが、祭壇のような情景を演出している。
「随分と派手にやってくれましたね。」
30秒ほど後、路地裏に向かって、コツ... コツ... と軽快な音が響く。
惨劇の会場へと近づいているという事実など、まるで問題になどならぬかのように乱れぬ足音のテンポ。こぎみよく路地裏に響き渡るそのリズムが2人に近づくと、やがて鎚のように重き靴音が響く。
「やはり、器でしたか。」
突然として佇まいが転調する。
荘厳なる声が響き渡り、まるであたりが神殿か教会かなにかの聖域であるかのように静まり返る。
路地裏へと続く道を曲がり、姿を表した声の主は、果たして警察官であった。
しかし、それは先ほど羽虫の如く薙ぎ払われて、強制的にその生涯に幕を閉じさせられたものたちとは何もかもが違っていた。
警察であることを示す帽子こそ被ってはいるものの、西洋の神父か何かと思しき紫のローブを見に纏い、見るからに格式高そうな靴を身につけている。
ただ、彼には神父にはあってはならないものが付いていた。
まるで魔石細工のように、ローブにこれでもかと装着している光輝く勲章。
戦果を誇り、時に羨望の眼差しを向けられるトークンである勲章の数々。敬虔であるべきが職務である神父が身につけるものとして、あまりにも異質な物体。
柔らかい表情を浮かべ、穏やかな佇まいでやってきたこの男には、何人にも畏敬の念を抱かせるような、天使の如き神聖さと、尽きることなどない底無しの功名心や猜疑心、欲望の数々を、隠すこともなく見せびらかす悪魔のような趣味の悪さが同居していた。
「やっぱりこうなるとは思ってたよ。まぁ、
おかげで、私1人の功績になることが決定した。」
無残な肉塊と成り果てた、かつて部下たちであったであろうモノを一瞥してそういうと、彼らに僅かほどの関心すら寄せない様子でそのまま2人の器を見つめる。
アンビバレントが具現化したかのようなその男は、2人の器の姿を認めると、右手を腹に添え、腰を折って深々とお辞儀をした。
「はじめまして。私は剤皇街警察署のコンラートと申します。以後、お見知り置きを...」
「はぁ?あんた誰なんです?」
「テメェ... なんのようだ?」
幾度となく鮮血に濡れ、記憶できぬほどの骸をこれまでの生涯で拵えてきた2人の器すら、この神父のような佇まいの警察官が醸し出す根源的な恐怖に打ち震える。
これほどの惨状を目にして、何故平気でいられる?
「みなさんのお名前を、ぜひ教えてください。」
丁寧な物腰で、しかし、反論など決して許されぬような圧を発する、コンラートと名乗る謎めいた男。
「はぁ?教えるわけないでしょうが。」
「路地裏のシミにしてやるよ...」
いくら恐ろしい相手とはいえ、その恐怖の原因のほとんどはその得体の知れなさから発生していた。
この異常事態に全く驚嘆する素振りすら見せない胆力、人間離れした2人の存在を認めても落ち着きはらっているどころか、お辞儀までして挨拶をしてきた存在への底知れぬ不気味さ...
とはいえ、あの男が特に魔素を纏っているようにも思えない。いかなる力を隠し持っているかは知らないが、2人してかかれば多少苦戦するにしても息の根を止めることが可能だろう。
そう踏んだザイゴンと牛山は、赤と緑の閃光となり、互いが互いを加速させるリニアモーターカーのように全力で男に飛びかかる。
しかし、結末は2人が期待していたようにはならなかった。
動きが... 止まる。
弾丸のように、明確な殺意の塊となりコンラートを唯一かつ共通の弾的として、火打ち石の如く弾け飛び出した2人は、彼の1mほど出前の位置まで到達したところで、器をもってしてもなお理解の及ばぬ力に阻まれて、完全に身動きを取ることが不可能となっていた。
「? ?」
「おい、どうなってやがる!」
まるで全身から魔素が抜けきってしまったかのように、身体中に力が入らなくなり、魔素の力を発現させることができなくなる。
コンラートの前で、動きを完全に止められ、完全に彼の掌の上に載せられてしまった2人が、マリオネットのように力無く、意思なく、操られるが如く移動させられ、狛犬のように隣に座して並べられる。
2人の間に、神官のように立ちふさがるコンラート。
「ははぁ。エナジードリンク、お好きですか?」
穏やかな微笑みを浮かべながらコンラートが問う。
「好きですよね? こういうの?」
コンラートの、見るからに高級そうな底の高い靴が、穢れた地面に打ち捨てられていた魔剤の缶を踏み潰す。
ダメだ。 この男は... 知っている...!!
敵に回してはいけない存在だった...!!!
2人の背筋を、恐怖が一瞬で駆け巡る。
器となって以来、長らく感じたとこもなく忘れかけていた心からの恐怖という感情。
「「「ソロモン・リング」」」
コンラートが肘を曲げたまま、腕をぐっと垂直にに上げ、掌を顔の前の位置に持ってくると、金糸の刺繍であしらわれた、腕まで覆い隠していたぶかぶかの紫のローブがはだけおち、腕に嵌めた無機質な金属の腕輪があらわになる。
リングの中心部に嵌め込まれた、人間の眼球を模した機構。
そのあまりにグロテスクで露悪的な意匠が凝らされた機構が、一度輝き、二度瞬く。
あたりを紫色の霞が包み込み、音階が不自然にずれた、歪な讃美歌が奏でられる。
その瞬間を最後に、2人の器たる者の意識は薄れていった...