MAZIMANZI’s blog

剤の味は罪の味

†魔剤戦記† 第6話 寡占された暴力

「ああああ〜〜〜っ、緊張したら一気に渇いちまったぜ こう、うまい魔剤がのみてぇな!」

 


唐突にテレビ画面をジャックした緊急放送なるものが五月蝿い砂嵐と共に終わり、元に戻ったテレビ画面には、相変わらずあの下品な蛇口が生放送中のカメラに向かって迸る水流を吹き付けており、我慢がぼやけていた。

 


伏魔殿の一室は再びいつもの俺と神次だけという2人のろくでなしが醸し出す倦怠なムードが流れる淀んだ空間へと戻った。

 


「もう剤も切れちまったし、もう1本くらい飲みてぇんだけどなぁ」

 


どっと疲れが襲いかかってきたように、神次がベッドに倒れ込む。

 


見ると、ベッドの上には魔剤の缶が10本ほど転がっている。

 


人の家なのに空き缶を好き勝手に散らかして、やっぱり常識がないやつだ。

 


まぁ、今更そんなことを咎める気にもならない。

 


器にとって、剤をどれだけ飲んでいれば力を維持できるか否かは、本人の体質にかなりのところを依存する。

 


神次は割と燃費が悪い方だと思われる。

 


最も、俺は器ではないので実感としてはよくわからない。

 


よく、女のことはわからない、男の考えは理解できない などと互いに行ったりするが、通常の人間が器を理解することの方が遥かに難易度が高い。

 


そんなことを思っていると、非公認のルームメイトから思いもよらないことを言われた。

 


「なぁ... 買ってきてくんね?」

 


「はぁ?なんで俺が...」

 


唐突に振られる神次からの雑用の依頼に、嫌そうな雰囲気を隠す気もなく応える。

 


「いや〜 今俺が行くのはちょっと気がのらねぇというか...」

 


「なんだよ。飲みたいなら自分で行ってこいよ。それで買いに行ってオレがもし死んだりでもしたらどう責任とってくれるんだよ。」

 


すぐに神次のいうことをはいはいと聞くのも癪なので意地悪を言ってみることにした。

 


まぁどうせ、さっきテレビに出てきたコンラートを見て怯えているといったのがその実だろう。

 


最も、マシになってきたとはいえ、ここらで治安がトップクラスに悪い剤皇街のところまでは向こうも流石にわざわざ出てくることはないと思うのだが。

 


本人に伝えると否定するのは目に見えてるのでわざわざ言わないが。

 


しかし、俺だって行きたくない。神次が器としてコンラートを恐れるのならば、俺だって思わず器と邂逅してしまう事態が恐ろしい。

 


しばらく口論したのちに、俺が折れた。

 


「じゃあ2人で行こうぜ。」

 


オレの提案した妥協案に対し、神次は割と乗り気なようだった。

 


助け舟に乗せられて、目に見えて表情が明るくなった。わかりやすいやつだ。

 


神次がもしコンラートに出くわしたとしても、俺が弁解できるかも知れないし、俺が器に襲われたら神次がボディーガードになってくれるだろう。

 


アパート伏魔殿を降りて、徒歩で5分ほど歩いたところの自販機には魔剤が販売されていたはずだ。

 


俺も神次も大変に億劫なところは似ているらしい。

 


髪も服もボサボサのまま、そのまま何の支度もせずに玄関に向かい、履き潰された汚い靴だけを履くとそのまま2人そろって外に出る。

 


軋む扉を乱雑に開けた瞬間、耳を苛むような異音と共に、生暖かくて血生臭い外気が吹きつける。

肌にねっとりとまとわりつくような、不快な空気だ。

 


見上げた空は常にうっすらと赤黒い。この世界のあらゆる悪徳と、魔界におけるあらゆる功徳が一つのキャンバス上でかき混ぜられたような、悪意と混沌に満ちた色彩だ。

 


世界の大物たちが次々と逮捕され、悪魔の存在を秘匿することが不可能になってからというものずっとこれだ。

 


太陽 と言ったものは俺らにとってはもう歴史の教科書に乗るような、神のレガシーと化している。

 


その理由について、悪魔がより世界への干渉を強めた証とも、自分たちの存在を秘匿し通すことができなかった財界や政治界の大物たちへの懲罰、人類への示威行為、悪魔にとって過ごしやすい環境への改造 など様々な説があるが、どれも仮説の域を出ない。

 


「ああ、ひでぇ。」

 


ボロボロに赤茶色く錆びつき、吐き出したガムが手摺りにこびりついてる、伏魔殿の今にも倒壊しそうな階段を2人の男が降りていく。

 


なにせボロアパートだから、少しでも風が吹いたり、外で器同士の激しい決闘が行われたりするたびに衝撃でミシミシと不安を掻き立てる不快な音が鳴る。

 


最も、後者の理由で伏魔殿が異音を轟かせることはだいぶ減少した。

 


この世界には、憚るべきものなど何もない。傍若無人の権化と化した器たちは至る所で暴虐の限りを尽くし、そこらじゅうで器同士の決闘が行われていたのだが、コンラートが剤皇街の警察にやってきてからというもの、彼らが、抹消されたのか、自主的に大人しくしているだけなのかは明らかではないが、そのような騒ぎはあまり起こっていないのだ。

 


それでもたまに、外で随分とドンパチ決め込んでるバカなやつもいるみたいだが。

 


伏魔殿の1階にたどり着くと、狭苦しいエントランスを抜ける。

 


地面は一面得体の知れない液体でぬたりと湿っており、甘ったるいような、鉄臭いような臭気が辺り一面に充満しており、気分が悪くなりそうだ。

 


「相変わらずくっせぇな〜」

 


神次もそんなことを言っている。やはり体のごく一部は悪魔である存在の器であっても、決して快いものではないらしい。

 


もうすぐ日付が変わる刻ということもあり、外には人っこ1人見当たらない。

 


しばらく汚濁に塗れた悪徳が染み付いた街の路地を歩き、突き当たりの一角を曲がると駐車場がある。

 


そこに確か自販機があったはずだ。

 


「はぁ〜? マジでありえねぇ!」

 


突き当たりの一角が見えるとともに早足で駆け出したせっかちな神次の声が、俺が角を曲がる前から聞こえてくる。

 


「おい魔沙斗!全部売り切れだってよ!」

 


俺も数十秒遅れて神次の元に辿り着く。たしかに神次の言う通り、自販機のボタンから発せられる煌々とした真紅の露悪的なネオンが SOLD OUT という文字をビカビカと映し出している。

 


「しゃあねぇ。帰るか?流石にここから剤皇街のマーケット・デビルは遠いしな。」

 


「あぁ、今は剤皇街の中心部には近寄りたくねぇ... あの勃起野郎さえいなければいいんだけどな...」

 


あるはずだと完全に信じ切っていたお目当てのブツが売り切れというお預けを喰らった神次はすっかり落胆して、あいつらしくもないぼそぼそとした声で答えた。

 


あいつの言う勃起野郎とはコンラートのことだろう。

 


緊急放送での出来事のせいで不名誉な渾名をつけられている。

 


最も、俺からしてもあの男は胡散臭いことこの上ないので、同情などは微塵も感じない。

 


とはいえ、彼がいなければこうして器でもない俺がそこそこ安心して外に出られることもないので、複雑な感覚だ。

 


コンラートと名乗り、バチカンから来たと自称しているが、顔はどう見てもアジア系のそれだ。

 


それに、悪魔学のメッカとの悪名高いバチカンから、なぜ日本に、それに剤皇街になんてやってきたのだろうか。考えれば考えるほど謎づくめで、底冷えのする男だ。

 


「クソッタレが!」

 


コンラートに関して、想像と考察の世界にトリップしていた俺を、鈍い衝撃音が現実に連れ戻す。

 


神次が突然自販機を思いっきり蹴飛ばしたようだ。

 


「やめろ。そんなことしてもないものはないんだ。」

 


悪態をつき、踵を返して歩き去ろうとしたので咄嗟に嗜める。

 


「ひっ...!!」

 


俺たちが元来た道へと戻ろうと向きを変えたその時、目が隠れるほどまで髪を伸ばしている気弱そうな少年と目があった。少し猫背気味で小柄だ。最も年齢は初頭学校高学年くらいといったふうに見えるので、その世代の中では大柄なのかも知れないが、どちらでもいいことだ。

 


俺たちと目が合うなり怯えた声を出して縮こまる。

 


それを見て神次が少年をねめつけるようにじろりと睨む。

 


完全に萎縮してしまっている。

 


「お、ビビってる〜」

 


その恐怖が張り付いた怯えた面が愉快だったのか知らないが、突然神次が愉快そうに笑い出す。ビビらせて楽しんでいただけみたいだ。まったく。

 


無理もない。見るからにチャラそうな金髪の、腕にも足にも縦横無尽に魔物の爪痕のような刺青が走り抜けている、体格の良い男に睨めつけられたのだ。

 


「おいボウズ。こんな時間に1人で街を歩いていたら危ないぞ。こんなところに何しに来たんだい。」

 


「ボウズって!言い方ヤバっ!」

 


精一杯心配させないように聞いてみるが、ガキの相手は得意じゃない。努めて柔和に話しかけてみるものの、どうも恐ろしいムードを漂わせてしまう。神次にも揶揄われる

 


「え... えっと... 魔剤を買いに...」

 


逃げようとしていた少年も、声をかけられてしっかりと答えるために立ち止まる辺りなんとも律儀な人間だ。

 


もし俺たちが残忍な性格の器だったとしたらどうするのだろう。

 


たちまち肉塊と成り果てて、苦悩と後悔の中でその生涯に幕を下ろすことになる。

 


剤皇街にはいたいけな少年少女を嬲ることを至上の愉悦としているような最低な手合いも珍しくない。

 


随分と平和ボケしたような、浮世離れしているような少年だ。

 


未成年が夜1人で歩くことなど、よほどのことがない限りは避けるべきだ。

 


今回はたまたま俺たちと目があってしまっただけらしいが、逃げないのも随分と肝が据わっている。まぁ仮に俺たちが本当に殺意を宿していた場合、逃げたところでそれは徒労に終わるのだが。

 


臆病そうに見えて、なかなか芯があるじゃないか。

 


「残念だけど、剤は売り切れちまってるんだよな〜」

 


少年に向かってか1人ごとなのか、神次が残念そうに大袈裟にぼやく。

 


「そ、そうなんですか... やっぱりここもダメだった... では、ぼくはこれで...」

 


「ん?おい、待ってくれ!おい、待て!待ちやがれ!」

 


そそくさと退散しようとする少年に向かって途端に怒鳴りつける神次。かわいそうに。トラウマになるに違いない。

 


「お前いまなんて言った? ここも って言ったよな?」

 


またしても少年が振り返って、こちらを向く。

 


思わず笑い出しそうになってしまう。こいつは逃げたいのか、逃げたくないのか。待てと言われて待つバカがどこにいるというのか。

 


一種苛立ちすら覚える愉快さだ。よそものかも知れない。あまりにもここの街での法を知らなすぎだ。

 


「そう、今どこもないんです...」

 


おどおどとして発せられたその声は、しかし、それでいて鈍器のような衝撃を与えた。

 


「どこにもない!?ヤベェじゃねぇか!?この世の終わりだ!」

 


途端に神次が悲嘆に暮れた表情に変わり、悲痛な声を漏らす。

 


コロコロと表情が変わって忙しいやつだ。

 


「嘘だろ!?なんでないんだよ!?一大事だぞ!?暴動が起こるぞ!黙示録が始まるぞ!」

 


「そんなこと、こいつに聞いてもしょうがないだろ」

 


しかし、俺のツッコミとは裏腹に、少年は口を開き始めた。

 


「魔逢塾の生徒たちが、買い占めてるんです... 僕はノロマだからいつも取り分に溢れたり、せっかくゲットできても、塾のクラスの子に奪われちゃうんです...」

 


ははぁ、それでわざわざこんな時間に外に出てまで探しに来たわけだ。

 


「随分と必死だな。お昼にでもママンに買ってもらえや。」

 


率直な感想を口に出す。

 


「おかしいだろ!?これまでそんなことなかったぞ?なんで、その、魔逢塾とかいうとこのガキ共は魔剤を買い占めてるんだよ?」

 


神次が喰ってかかる。

 


俺は別に剤を飲まなくとも渇くことがない体質なのでわからないが、どうやら異常事態らしい。

 


「もうすぐクラス分けのテストがあって... みんなそのテストでいい点を取るために、魔剤を飲んで徹夜で勉強してるんです... デビル・マーケットにも1つもなくて...」

 


神次に凄まれてペラペラと喋りだす少年。

 


この性格に加え、色々と聞かれたらすぐにペラペラと喋るその軽薄な口といい、本当に犠牲の羊としての生き様が相応しい少年だ。

 


哀れみすら覚える。

 


「今がテスト期間なのか!?」

 


「ほ、本当にぼくはこれで...」

 


俺たちを振り切って、今度こそそそくさと走り出した少年が、瞬く間に姿を闇の中に消していった。

 


へぇ。羊でもその気になれば走れるんだな。

 


少し意地悪して呼び止めて見たくもなったが、流石に可哀想なので躊躇われた。俺にも情がある。器でないなら尚更だ。

 


「おいおいおいおいおいおい!聞いたか魔沙斗!聞いたよな!?今の!?デビル・マーケットすら全滅らしいぞ!どうすんだよこれ!」

 


伏魔殿への帰り道、神次はずっとテンションが低く、トボトボと歩いていた。大柄な体躯の神次が珍しくも項垂れているもので、小柄で弱々しく見える。

 


やがてアパートに戻って、自分の部屋を平然と無視して、なぜか俺の部屋にそのままついてきた神次はしばらくブツブツと言っていたが、やがて立ち上がると、凄まじい大声を出して衝撃的な発言をぶちかました。

 


「決めたぞ!オレ、魔逢塾にカチ込むことにする!」