MAZIMANZI’s blog

剤の味は罪の味

デブラ探訪録 〜歌舞伎町編〜

「彗さま!また絶対、絶対来るからね!」

 

「ありがとう。いつも僕のために一途に通ってくれて、本当に嬉しいよ、愛してる...」

 

そういって、男は、絢爛なアクセサリーをつけた女の髪を撫でる。

 

「でも彗さま。そんな事を言っても、いつもその手袋を外してくれないじゃない。私はあなたの温もりが欲しいのに...」

 

「...ごめん。」

 

「どうしてなの?」

 

「...実は僕が子供の時、ひどい火傷をしてね。これを見たら、きっと君は...」

 

その手を掴んだ女が、上目遣いで問いかける。

 

「ううん!そんな事ない!私はどんな彗さまだって受け入れる!」

 

「...すまない。本当に...」

 

「いいの、こっちこそごめんね。でもいつかは...」

 

時刻は夜の22時。

 

眠らない街、新宿歌舞伎町のホストクラブ。

 

店から出て行った女を笑顔で見送る男に、同僚が声をかける。

 

「すげぇな彗!今月も指名トップ、ぶっちぎりの売上一位じゃないか!」

 

「うん、ありがとう隼くん。ただ、そこまで言われると照れちゃうな。」

 

「にしても... あの女、どれだけ貢ぐんだよ。あんな豪華なカッコして、実は相当借金抱えてるってウワサだぜ?お前、破滅させるのは何人目だよ?」

 

「そうなのか!?それはひどい事をした...」

 

「にしてもよ、お前、その手袋絶対に外さないよな。本当に火傷でもしてんのか?」

 

「あぁ。いろいろあってな...」

 

黒いエナメルの手袋をニヤニヤと見つめる同僚の隼に、鬱陶しそうな一瞥をくれる彗。

 

「ごめんね。僕はもう上がることにするよ。」

「そうか!またな!」

 

「また明日な、歌舞伎町のエースさんよ!」

 

後ろめたそうに店を後にする彗を笑顔で見送る同僚たちの顔は、彗の姿が見えなくなると途端に歪み始めた。

 

「あいつ、調子乗ってるよな。売れてるからって。」

 

「彗の野郎が来てからオレの指名全部取られちまったよ。慶應卒のイケメンで、話術も何もかも完璧だ。おまけに身長まで高い。今じゃ歌舞伎町の大スターだ。けっ、面白くねぇ。」

 

彼が去った後の店内は、彗の悪口大会になっていた...

 


 


「ちっ、相変わらずゴミ虫みてぇな奴らだ。あのヘラヘラと擦り寄ってくる同僚たちも、メンヘラなブス女もな。ファック!」

 

店を出た彗はすぐさまジャケットの上から分厚いレインコートを被ると、フードでその麗しい顔を覆い隠す。

 

「ちっ、早く帰って清めねぇと...」

 

路地裏を足早にかける痩躯の口から、さも何かに急かされているような言葉が漏れる。

 

人目を避け、タバコの吸い殻やワンカップ酒の容器が散乱する、陰鬱で小便臭い路地裏を走り抜ける彗。やがて彼は一つの建物へと吸い込まれていく。

 

夜中でも圧倒的な存在感を放つ、黄色と黒の看板。そう。デブラ屋だ。

 

「はぁっ!はぁっ... クソッ... 気持ちわりぃ...」

 

店に入った彼は足早に厨房に駆け込むと手袋を乱雑に投げ捨てる。

 

蛇口を捻り、手を洗う。執拗に。執拗に。執拗に。その掌には火傷の跡などないどころか、純白の手からはすらりと長い指が伸びていた。

 

「穢れた手では、今回もどうせ上手くいかねぇ...」

 

己に言い聞かせるように繰り返しブツブツと何かを呟き、手を洗うのを終える。

 

そうして厨房の出口に向かって歩いては、再び蛇口まで駆け戻り、何かに憑かれたかのように手を洗う。

 

そんな動きを数回ほど繰り返したのち、深呼吸をする。

 

やがて意を決したかのように厨房の中央に鎮座しているテーブルの前に、神妙な面持ちで立つ彗。

 

彼の視線の向かう先には、巨大な豚の肉塊。

 

「すぅ... 今日こそ...」

 

数十秒ほど呼吸を整えたのち、彼は詠唱を呟き始めた。

 

「豚慢なる星の導きに従い、密辱の芽を花開かせん。豚怠は一日にして万識を濁らせ、牛練は万年にして阿頼耶識を清め祓う... はぁっ!」

 

ひとしきりの詠唱を終えた彼が、雄叫びと共に豚に掌底を撃ち込む。刹那、あれほどまでに瑞々しかった豚肉の塊は、たちまち真っ黒な煤と成り果てた。部屋には焦げ臭い腐臭が蔓延し、塊と化したソレは瞬く間に気化して消滅した。

 

「...............」

 

無表情のまましばらく硬直していた彗は、やがて忌々しげに唇を噛んだ。

 

「クソッ!またかよ!どうして、どうして上手くいかない!こんなに、こんなに毎日毎日毎日毎日修行しているのに!俺の思いは、どうして豚に届かない!届かない思いなんて、あのブス女と同じだ!」

 

唇から血が滴り落ちる。彼が再び顔を上げると、時計は23時30分を示していた。

 

「はぁ、そろそろか。」

 

憎々しげに呟くと、厨房の奥にある分厚い銀色の扉の鍵穴に鍵を刺す。

 

そして手をかける。

 

その取手を引き上げた瞬間...

 

「ALLLLLLLLLAAAHHHHHHH!!!!!」

 

この世のものとは思えないほどの絶叫が響き渡り、鮮血が飛んでくる。

 

それを、これまた人間離れした反射神経で躱した彗が扉の中へと歩みを進める。

 

そこは、血生臭い空間だった。8畳ほどの空間の中央には、皮を剥がれた豚の骸が逆さまに吊るされていた。そして最も異様なのが、呻き声を上げながら巨大な中華包丁をエレキギターのように持ち、滅茶苦茶に豚を斬り刻みつづけている男の存在である。

 

髪や髭は伸び放題で、さながら落武者のような風貌だ。その双眸には理性は宿らず、狂気のみが爛々と輝いている。

 

男に刻まれた豚の骸はすぐさま再生し、終わることがない。

 

「相変わらず生臭い空間だ... 残業鬼・GIRAGIRAだか知らないが、畜生ッ、どうしてこんなに鍛錬を積んでいる俺がダメで、こんな奴が...」

 

彗はビニール手袋を両手に嵌めると、凄まじい速度で床に落ちた肉塊を回収してゆく。途中振り下ろされる異形の男・GIRAGIRAの斬撃の悉くを回避しながらの足捌きには、動きに一切の無駄がない。

 

肉を回収し終えるとすぐに部屋を出て、扉を固く閉ざす彼。

 

時刻は23時40分。

 

「急がなくちゃあな。」

 

回収した肉片をスープに入れ、慣れた手つきでデブラを作り始める。

 

最初のロットを回転させるための準備が整ったタイミングで、開店の時間が訪れる。

 

店のシャッターを開ける直前になって、彼は中世の騎士のような甲冑を被る。

 

「さぁさぁ、眠らない街のデブラ屋の、開店でございます!」

 

号令と共に、客たちが次々とデブラ屋へと雪崩れ込んでくる。その中には、彗の同僚たちの姿もあった。

 

「ほーんと腹が立つよなぁあいつ。付き合い悪いし。」

 

「それな!何が歌舞伎町ナンバーワンだよ。傲慢さナンバーワンだな。」

 

「ギャハハ!いえてるわ!」

 

食券を買って並ぶ同僚二人は、彗の悪口に花を咲かせていた。

 

「好き放題言いやがって... 俺にとってあっちこそが表の顔。お前ら女の血吸うウジ虫以下のクリーチャーどもが...」

 

甲冑の中で呪詛を呟く彗の手元がブレた。丼を提供せんとするまさにそのタイミングで、丼を客席側に倒してしまったのだ。

 

「あっ...」

 

彼が気がついた時には、すでに丼は客席に座るちんまりとした老人の顔にかかっていた。

 

「も、申し訳ございませんッ!」

 

弾き出されるかのように厨房を出た彼は、甲冑の中で開いた口が塞がらなかった。

 

丼をぶちまけられたはずの老人には、汚れ一つついていなかった。まるで、彼の目の前に不可視のバリアでもあるかのように。

 

立ち尽くす彗の前に、老人はカッカッと笑うと、杖をコトンと床に突き立てる。

 

「ほっほ。いつも美味い肉を感謝よのう。」

 

その言葉を聞いて眉間に皺を寄せる彗。見えないはずの顔を見通したかのように老人は目を細めると、小声で囁いた。

 

「だが... お主の味ではないな?」

 

「ちっ...」

 

相手が客であることも忘れ、舌打ちが漏れていた。

 

「良い良い。知りたくてたまらないんじゃろう?お主が、豚慢なる星に認められるために、何が足りないのかを...」

 

彗は、掃除と新たに注文を受けることすらせず、しばらくその場に呆然と立ち尽くしていた...

 

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残業鬼・GIRAGIRA