デブラ探訪録 〜横浜編〜
ーー神那我覇地区、横浜
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「その看板を引き摺り下ろせ!」
「散々えらぶっていたくせに、秒殺だったなァ!」
国際色溢れた都市の一画で、男たちの威勢の良い勝鬨が上がっていた。
小さな建物が炎上し、もくもくと黒煙を夜空に燻らせている。
「お、お願いします... その看板だけは... 長い修行と、人生を賭けた結晶なんです...」
「ギャハハ!喧しいなぁ!こんなもの、とっくに腐ってるんだよォ!」
「そうだぜ?俺たち『豚辱會』が世直ししてやるってんだ、感謝して見てなァ!」
頭を地に垂らし、哀願する店主の背後には黒い文字が書かれた黄色のバックの看板。年季が入っているのかやや黒ずんでいる。男たちはそんな様子を痛快そうに嗤うと、赤いペンキを看板にぶちまけた。
「あ、あぁ...」
両の眼から涙を流し、言葉にならない声を漏らす店主。そんな様子などお構いなしに、男たちは瞬く間に看板をペンキで真っ赤に上から塗りつぶしてしまった。
そして最後に巨大な毛筆を持った悪漢が現れると、真紅に染まったキャンバスにのびのびと筆をふるい始めた。
『横浜豚辱會』
書き上がった力強いその字を見て、さらに湧き上がる男たち。炎上する店内を囲む者たちの喧騒。その様子はさながらキャンプファイヤーのようだった。
「さぁさぁ!陥落祝いに白米を炊こうぜ!」
「だなぁ!やっぱりデブラには白米だろろぉ!?」
「ほうれん草も茹でようぜ!」
「や、やめろ、それだけは... それだけは、豚を茹でる大釜なんだ!ほうれん草を入れるなんて...あ、あぁ...」
男たちは店主を縛り上げると、大釜の前に鎮座させた。
グツグツと煮えたぎるその釜には、大量のほうれん草が投入された。その様子を見て、店主の双眸から光が消えた。
そんな狂乱の宴を、後方から眺めている男がいた。赤色の帽子、その後方から垂れるブロンドの髪は三つ編みに結われている。胸元の開いた特攻服に、サファイアのような瞳。端正ながらも雄々しさを感じさせる精悍な顔立ち。
「ふぅ...」
タバコを吹かす彼の頬には、炎上する店の焔が反射して血色が良く見える。
だがその表情は憮然としており、気難しさを感じさせる。
「顎斗さぁん!やりましたねぇ!ついに神那我覇地区を全制覇!そして次なる目標は東京の制圧!あの偉ぶった連中がどう情けないところを見せるのか、楽しみですねぇ!」
「...」
顎斗と呼ばれたその男に駆け寄ってくる一人の男。彼もまた他の男たちと同様に刺々しい格好に身を包んでいた。
顎斗はその上機嫌な男には目もくれず、沈黙している。
「いやぁ、いつもムスッとしてるんですから!ほんと、顎斗さんがいれば怖いものなんてありませんよ!顎斗さん、いや、顎斗様こそ権威を砕き、デブラの新たな歴史に名を残すお方!一体この世のデブラ屋のどこがあなたにかなうんでし... って、うわぁ!くっせぇ!」
騒ぎ立てる男の顔に、すり潰されて液体状になったニンニクをべちゃりと投げつける顎斗。
「ちょ、ちょっと!何してるんですか!これ、マジで臭いっす!」
「臭い...?あぁ。コイツを臭いと思ってるうちは、東京のデブラ屋なんかには逆立ちしたって勝てやしねぇ。」
吐き捨てるようにそう呟く顎斗に対し、わけがわからないと言った顔で呆然としている男。
「奴らは忍辱をご褒美だと思ってやがる。片や豚辱會はどうだ?あくまで任意のトッピング止まりだろ。それがオレらと奴らの差だ。東京のデブラ屋を甘く見てると、テメェ... 死ぬぞ。」
「ひ、ひぃっ...!」
恐怖に顔を引き攣らせた男が、情けない足取りで逃げるように去っていく。
一人になった顎斗は、子豚の骸を紐で吊るしたものをヨーヨーがわりに扱い手弄みする。やがて先ほど忍辱を握りつぶした右手を己の鼻の前に持ってくる。
「ちっ... 臭ぇ...」
忌々しげに吐き捨てると、咥えていたタバコを地面にポトリと落とし、執拗にグリグリと足で踏み潰した。
夜、空には豚辱會で刻まれた豚肉のような、細くて薄い月が浮かんでいた。
赤煉瓦倉庫を強奪したのち、改造を加えたことでリノベートされた豚辱會の本拠地。
顎斗は最奥部にある殺風景な部屋の中で、小さな机に向かって苛立ったように地べたに座っている。
机の上には、写真立てが置かれている。荒々しい彼には似つかわしくないような、可愛らしい枠に彩られた小さな写真立て。その中には、満面の笑みを浮かべる金髪の男の子と、両親らしき人物が黄色い看板の建物をバックに、微笑みを浮かべて立っていた。
「畜生...」
歯を食いしばり、忍辱を一つ棚から取り出すと、拳で強く握り潰す。
「顎斗さん!顎斗さん!」
「今宵はめでてぇ日ですや!飯ィ用意して待ってますぜ!勿論、濃いめ固め多め、ですよねェ!」
静寂に包まれていた部屋に、ドタドタという騒音と騒ぎ声が響いてくる。
「...あぁ。今行く。」
咄嗟に、それでいて優しい手つきで写真立てを布団の中にしまい込むと、膝に両手を当てて立ち上がった。
「「傲慢な権威を細切れにするのは〜」」
「「おいぼれをぶち殺す紅の狼、その名は〜〜」」
「「総長・顎斗さんッッ!!!」」
「「オレら豚辱會の前に、敵は無し!!」」
「「王道よりも覇道、そうだろ???」」
「「顎斗さんはなぁ... お前らみたいな腐った権威を細切れに刻むんだぜ?こんな風になぁ!!」」
パーティーは大変な盛り上がりだった。蛮族の宴会かと見紛うほどの騒々しさ。
飲めや食えやの大騒ぎ。あちこちで白米が炊き上がるような香りと、ほうれん草が茹で上がる芳醇なにおいが漂っていた。
そして、この場所にまで連行されてきた店主は、豚辱會の男たちがひたすらに豚を薄く刻んでチャーシューに加工する様子を見せつけられていた。
やがて宴も終わり、啜り泣く店主以外は皆が寝静まる。あちこちでむさ苦しい男たちがひっくり返ってぐーすかといびきを立てている。
その様子を、最初の一杯すら飲まずに酒を経っていた顎斗のみが見つめていた。
「やはり、オレが一人でケジメをつけに行くべきだな。デブラ屋ではそもそも酒は飲まない。結局、どこまで行ってもそれがオレらと奴らの差だ...」
踵を返すと、部屋に向かう。そして諸々の荷物を鞄に詰める。そして、最後に写真立てを大事そうに布に包むと、鞄の1番上に入れたのだった。
「首を長くして待っていろ。これはオレの戦いだ...」
飢狼の如き低音で夜空に一人呟くと、駆ける人影が月夜に照らされた。