神豚調教†デブラヤーナ† 1店目
神豚頂教デブラヤーナ
とある下町でひっそりと営業しているという、知る人ぞ知るラーメン屋。
黄色くくすんだ垂れ幕には、力強い黒文字で「デブラ」とだけ書かれている。
その色の組み合わせはまさに危険標識や虎の如き存在感を放ち、街の中でも異彩を放っていた。
そんなデブラ屋に、一際珍しい客がやってこようとしていた。
「ブロロロロロロ...」
生活感漂う街の雰囲気には、およそにつかわしくない黒光りするリムジンが一台。
速度こそ控えめだが、さながら公道のことをレッドカーペットなのだと思っていそうなほどの威風堂々とした走行である。
その存在感に、周りの車たちは誰に命令されるまでもなく次々に道を譲ってゆく。
やがて、リムジンはデブラ屋の前の道路で停車した。
小汚い構えの店と、光沢を放つ車体とのギャップが凄まじい。
まさに月とスッポン、レッドブルと魔剤とでもいった様子だ。
やがて運転席と助手席の扉がそれぞれ開くと、びしっと漆黒のスーツを着込み、サングラスをかけた男が2人降りてきた。アンドロイドかのように淡々と、それでいながらも洗練された動作と、すらっとした長身から放たれる荘厳な雰囲気は、逃走中に出てくるハンターを彷彿とさせる。
彼らはロール状に巻かれた赤いカーペットをトランクより取り出すと、そのままデブラ屋の店内に向かってスルスルと地面に敷いてゆく。
そして、彼らは無言のまま後部座席のドアを開く。
そこから出てきたのは、これまた黒い礼装に身を包んだ少年だった。
年は11、2歳ほどだろうか。
まだあどけなさが残る顔立ちではあるが、気品を感じさせる年齢不相応な佇まいと表情からは、育ちの良さがひしひしと感じ取れる。
「到着でございます。坊ちゃま」
「どうぞこちらへ」
黒服の男たちは恭しい態度を取ると、まるで執事のように少年を先導する。
少年はその言葉に従い、デブラ屋の中へと入っていった。
「ふぅ……退屈したぞ。それにしても、ここは豚小屋か何かか?」
店の中に入ると、少年は不躾にも呆れたような声を上げた。
そこは確かにラーメン屋であったのだが、壁や床一面がギトギトの油で汚らしく覆われていた。その上剥き出しの厨房の内部には、巨大な豚の骸が皮を剥がれた状態で吊るされており、お世辞にも衛生的とは言い難かった。血生臭いその光景は、まるで未開の部族が広場で開催する定期市のようであった。
不敬なる来訪者の存在を認めると、店内中央の厨房に鎮座する男がギョロリと目を向けた。
身長2mはあろうかという大男は、今まさに鍋の中に麺を投入しようとしているところだった。
この男こそが、この街のデブラ屋の店主である。
その風貌たるやまさに悪鬼羅刹といったところで、全身は毛むくじゃら、伸び放題の髪からは、見る者を震え上がらせるようなギョロリとした眼光が覗いている。
その迫力にも、少年は一切怯む様子を見せない。それどころか、まるで興味がないとばかりに鼻を鳴らす始末である。
「フン! なんだお前らは?僕は社会勉強で愚民どものランチを食べにきたのだが?」
その言葉に、それまではひたすら己の前に鎮座する丼にがっついていた男たちが爆笑する。
「ブハッハハハハ!! おいおい、坊ちゃんよお!」
「こんな臭え店にランチなんかあるわけねえだろぉ!?あるのは闘争のみだ! 寝ぼけてんのか!?」
モヒカン頭や坊主頭、スパイクのついた刺々しいブレスレットなどをつけた男たちがゲラゲラと笑うの対し、少年は眉間にシワを寄せ不快感を露わにした。
「おい、愚民ども。この店では客に対してそんな態度でいいのか?僕にかかればこんな汚らしい豚小屋、今日中にでも潰してやってもいいのだぞ?」
少年の放つ言葉に、男たちはなおも
笑う。
「ブハハハハ!潰すだってぇ!?やれるもんならやってみろよぉ!!」
「こいつは傑作だ!あぁおもしれぇ!」
男たちのうちの1人が、笑いのあまり口から咀嚼中のギュチッとした黄緑色の油を吐き出した。それが偶然にも、少年の絹のようにきめ細かな額に付着した。その瞬間、少年はピクリと眉を動かした。
「おいおいおい!噴飯ものすぎて、飯ふいちまったぜ!」
「マジかよ!ってガキに思いっきりかかってるじゃねぇか!とっととお家に帰ってママのおっぱいでも吸ってるんだな!」
「その後はアンパンマンでも見て寝てろって... いや、この状況ならフンパンマンだな!つまり噴飯モノってこった!」
そう言って再び大爆笑をする男たちを尻目に、少年は顔を拭うことなく静かに怒りを溜め込んでいた。そして、その小さな拳をギュッと握りしめると、ゆっくりと口を開き、声高々に宣言した。
「よかろう。そこまで言うのなら、貴様らの望み通りここで消し炭に変えてやる」
少年の言葉を合図にするかのように、
それまで沈黙を貫いていた店主が動き出した。200kgほどはありそうな巨躯からは想像もできぬほどの俊敏さで彼は火を止めると、おもむろに自身の身長よりも大ぶりな中華包丁を取り出した。それを逆手に握ると、目にも留まらぬ速さで突きつける。
一瞬にして緊迫した雰囲気に包まれる店内。油まみれで腐った換気扇が掻き立てる、不安を煽るような鈍い回転音のみが店内が響く。
しかし、そんな中にあって少年は依然として落ち着き払っていた。まるで、この程度の脅しなど全てハッタリだとでも言わんばかりの余裕綽々な態度。
それは、強者にのみ許された態度であった。
「ほう、僕を殺すのか?」
「……」
店主は答えない。ただ黙々と中華包丁を突きつけるのみだ。
そんな彼に対し、少年は尚も挑発的な態度を崩さない。
「ふん、貴様のような三流以下の料理人風情が、僕に手を出せるはずもないだろう。何せ僕は豚辱コンツェルンの御曹司、夜才牛斗だからな。」
その名が宣告された刹那、男たちの表情に驚嘆の色が張り付く。
「と、豚辱コンツェルンだとぉ!?」
「まさか、この街一体を全て支配しているという、あの!?」
男たちは口々に驚きの声を発すると、一様に唾を飲み込んだ。
それも無理はない話である。何しろ相手は一企業とはいえ、小国一つにも匹敵する勢力を誇る巨大組織の御曹司なのだ。
その経済力は、日本の半分を支配しているとも言われている。
そんな中、店主の男のみは眉一つ動かすことなく、吊るされた豚の骸を淡々と刻み続けていた。
やがて、男は徐に口を開くと、唸るように言葉を発した。それはまるで、獄卒が発するような恐ろしい、しわがれた声だった。
「……汝の挑戦を認める。忍辱(ニンニク)は。」
その声色には一切の感情が感じられない。それでもなお滲み出す殺気に、男たちは思わず身震いした。今この瞬間、箸を動かしているものは誰1人として存在していなかった。
静寂の中、カサササッ と、30cmほどの巨大な多足類が厨房の床を這う音が走り抜ける。
それはさながら、時代劇や西部劇において、両雄が対峙する際に吹き荒ぶ一筋の風が如く。
「なっ……!なんだと……?」
先に静寂を破ったのは牛斗だった。
店主の発言に、動揺を隠しきれないという様子で唾を飲む。
無理もないことだ。
己の名を聞いて、態度を変えぬ人間というものを彼はこれまでの人生で見たことがなかった。
その身分を知れば、皆が恐れ慄いたり、全力で媚びを売ってきたりものだ。
だからこそ、彼には目の前の男の態度が全くもって理解できなかったのだ。理解の範疇というものを超えていたのだ。
生まれてから何一つ不自由や恐れといったものを知らない彼が抱いた、初めての畏怖だった。
「...忍辱(ニンニク)は。」
店主は再び同じ言葉を呟いた。その表情には微塵の変化もない。
「お、おい... まずいって...」
「あぁ、3秒以内に詠唱を開始し、最初の言の葉を紡がなかったら、俺らもろとも殺されても文句はいえねぇ...!」
店内で男たちが不穏に騒つく。
そんな様子に、牛斗は思わず一歩後ずさった。
(こいつ、正気か……?いや、気狂いに違いない!でなければ僕の名を聞いても顔色ひとつ変えないはずがない!)
牛斗は恐ろしさのあまり声を発することができなかった。そもそも、発することができたとしてもどのような回答が適切かもわからなかった。
店主の額に、大蛇が如き太い血管がビキリと走り抜けるのを認めた黒服が、すかさず口を開く。
「ヤサイアブラニンニクで」
「御意...」
すると、それを聞いた店主は低く呟くと共に、手に持った中華包丁を一振り。
そのまま存在感のある背中を客席に向けると再び調理へと戻っていった。
一方、その言葉を聞いた牛斗は混乱していた。
脳内に渦巻く無数の疑問符を整理しようと試みるも、未だ答えは出ないままだ。
「くっ……!」
牛斗は苦虫を噛み潰したような表情をすると黒服に連れられて、空いている席へと着席する。その後、彼らは一言も発する事なく、ただただ麺が運ばれてゆくのを待った。もはや、誰1人として店内で声を発しているものはいなかった。
客席からは決して見えることはなかったが、店主の男の口角は僅かに上がっていた。
◇◆◇
それから数分後、ようやく着丼の刻が訪れた。
ラーメンが到着するにしては、いささか注文の時間を鑑みた場合遅い時間ではあったが、店に入る前から空腹状態だった少年にとってはむしろ好都合であった。
少年と世界。丼を挟んでいざ対峙。
生き残るは二つに一つ。
登るべき太陽は、一つで構わない。
目の前に置かれた丼の中には、並々とスープが注がれていた。
特筆するべきはその色。店内の仄暗い照明が、汚らしい脂の海原に反射されて、数センチ深いところさえ見えない濁濁とした茶色を湛えている。
嗚呼、未だかつてこのような海があっただろうか。
幾多もの海を征服してきた大海賊も、
未知という道を欲望と黄金で舗装してきたコンキスタドールでさえも。
ポセイドンさえも、この海を前にしては色を失っただろう。
その威容は凄惨悲惨。
テムズ川を連想されるが如きスープには、不敵に笑う死神が鎮座。
だが、其の死神が振るうは、鎌ではなく臭気の一閃。
ニンニクの大軍を従えて、失落園より脱出した魔の軍勢。
これでもかと盛られたヤサイは、そのいずれもが硬くハリがある。その一本一本が矢の如く鋭敏に、少年の視界に突き刺さる。
全てを攫い、心を捕らえるインパクト。
牛斗の額が汗ばむ。その熱気で、決意すら溶かされてしまいそうだ。
(いや、僕は豚辱コンツェルンの御曹司。この程度何ということもない!)
何かと己の家柄を鼻にかけていた少年だったが、一流の帝王学を叩き込まれているだけのことはあった。
その勇気、豪胆さもまた、年不相応。
黒服が見守る中、牛斗は箸という聖剣を引き抜き、汚濁へと突き立てる。
そして、躊躇いなく口内へと掻き込む。
刹那、ギュチィィィッという暴力的なまでの脂のライブ感に襲われる。
そして、ファンキーな味わいのニンニクが味蕾細胞というオーディエンスにむけてダイブ。
「くっ... い、いだいっ...!」
苦痛に涙を浮かべる牛斗。
「だけど... 僕がこの程度で終わると思うな!」
だが、彼は決して諦めなかった。
無限とも言える麺と格闘すること10分。
気がつけばその麺の総量は半分近くにまで減少していた。対する牛斗の額には脂汗が浮かび、呼吸は激しく乱れていた。
「お、おい、マジかよ...」
「やるじゃねぇか坊ちゃん...!」
当初は冷笑的な態度で牛斗の挑戦を見守っていたギャラリーの男たちの態度が、時間を経るほどに変化していく。
(はぁ... はぁ... 流石にもうムリか...?視界が霞む...)
今や、牛斗は限界を迎えようとしていた。
「それにしても凄まじい健闘だな。完食は無理だろうが、いくら豚辱コンツェルンの御曹司とはいえ、子供の身体であの量まで奮闘すること自体が奇跡、前代未聞だ...」
客の一人が状況を解説する。その言葉が、薄れゆく牛斗の意識を強く繋ぎ止めた。
(ちっ... 愚民風情が軽率に誉めてくれるなよ。この程度、僕は軽々と越えてこそ!)
そこからはもうヤケクソだった。ピッチャーに水を次々と継ぎ足しては、強引に麺を胃へと押し流す。
普段健康で上品な食事をしている彼の胃は、次々に押し寄せる不健康の濁流に対してとうに悲鳴をあげ、危険信号を光らせていたのだが。
(ここで完食できなくば、お父様に顔向けできない。僕は何事も完璧にこなし、常に頂点をとってきた。豚辱コンツェルンの人間として恥じないように...!)
彼が麺を流し込む度、麺に絡みついたニンニクのヘビー級パンチが口内を殴打乱舞した。
やがて、最後の麺を啜ろうと箸を伸ばし、それを掻き込む。そして、咀嚼する間もなく飲み込む。
「ゲホッ...!ガハッ...!」
激しく咳き込む牛斗だが、その双眸は爛々と決意が灯り、戦士のそれであった。
刹那、店主が時計を一瞥したかと思うと、その口を開いた。
「時間だ。」
「ふ、ふっ... 完食だ。どうやら、ゲホッ!僕の... 勝ちみたい、だな...」
不敵に見つめる牛斗と、表情一つ変えない店主。
「おおおおおおお!!!!!!やるじゃねぇかボウズ!!」
「ウッソだろ!まさか完食しちまうなんてよ!」
今や店内は大いに湧き立っていた。
男たちが拍手喝采し、割れんばかりの歓声が響く。
「流石です坊ちゃま。それでこそ豚辱コンツェルンの御曹司です。」
「さぁ、これであなたの敗北ですよ。」
黒服が店主の両脇を固めようとしたその時、店主の男の瞳が妖しく光る。
刹那、牛斗の丼からはスープが全て蒸発した。
そして、その底には一つの肉塊が残っていた。
「そ、そんな... バカな...!」
そう、残っていたのだ。彼はスープの奥深くに沈んでいたこの存在を忘れていた。
丼の底で、豚が不敵に嘲笑う。
「ま、まさかそのようなことが!?」
これまで全く表情を崩さなかった黒服さえも困惑する中、店内には不穏などよめきが広がる。
「おいおいこれってよ...」
「ああ、相当にまずいことに...」
男たちが箸を動かすのもやめて呆然とする中、一人の客が静かに右手の親指を上げた。
そのサインは瞬く間に客席全員に伝播し、皆が親指をあげて店主に嘆願する。
「店主!このガキはよく健闘した!どうかお慈悲をやってくれ!」
「嗚呼、この少年は子供である前に、立派な戦士だ!」
まるでアンコールが行われているライブ会場かのように、店内が一体感に包まれる。
(クソっ... 僕としたことが... まさか、まさか最後に、そんなっ...)
必死に涙を堪え、俯く牛斗。
零れ落ちた滴が、丼の中に落ちてぴとりと切ない音を奏でる。
そんな彼に声をかけたのは、黒服ではなく店主だった。
「ロットが乱れる。早く出ていけ、少年。」
「くっ...」
悔しさのあまり歯軋りをしたまま、少年は涙でぐしょぐしょに濡れた顔を隠すように、店内から走って出て行った。その後、黒服が丁重に店主に対して無言で礼をすると、牛斗を追ってゆっくりと歩いて店内を出て行った。
「店主...」
「あぁ、流石だな」
残された男たちは皆、安堵の表情を浮かべている。
「ロットが乱れる。貴様らも早く喰らえ」
「は、はいっっ!」
「すいやせん!すぐに喰らいます!」
店主が一言そう告げると、再びいつもの店内が訪れる。再び厨房に背を向けた店主は、巨大な中華包丁で吊るされた豚を研ぎ始める。
「ふっ...」
店主の口角が、先ほど挑戦を受けた時とは違って満足げに上がっていたのを、誰も気がつくことはなかった。
◇◆◇
(この僕が敗北するなど... あってはならないことだったのに、初めてのことだったのに...!)
その頃、すっかりニンニクの臭いが充満するリムジンの後部座席では、牛斗の啜り泣く声だけが響いていた。だが、それも10分ほどのことであった。
(だからこそ、そのままで終わらせるつもりはさらさらない。豚辱会コンツェルンの御曹司、いや、夜才牛斗として必ずや、この雪辱を果たしてやる...!)
彼の車が屋敷に到着する頃、後部座席にいたのは単なるお坊ちゃんではなく、一人の武人だった。
その瞳には、決意の炎が宿っていた。